映画を極めろ一直線女子の裏道ばやり

『映画を極めろ一直線女子の究極裏道』と『一直線女子の映画向上会』に入らぬ記事を掲載が「裏道ばやり」映画ブログ

歴代5大映画俳優と30作以上で共演の希少名優 映画460作の原健策と7大巨匠の大映画音楽家

 

 

 

歴代5大映画俳優と30作以上で共演の希少名優 映画460作の原健策と7大監督の大映画音楽家

  

映画を極めろ一直線女子 世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家

                 と

50作近く膨大な代表作を残した映画大音楽家の行く末 - 映画を極めろ一直線女子の究極裏道を公開しました。ここでボツは残念な、膨大な量になりましたのでこちらにも公開することになりました。

 

 

 

 

歴代5大俳優と助演や脇役で30作以上で共演している数少ない名優 映画460作以上の原健策と歴代5大映画俳優たち

 

 


原健作は1925年に映画デビューし、1981年までの56年間で日本映画史上で歴代上位の通算460作以上の映画に出演し、東映への移籍が影響していると考えられますが、1953年から芸名を原健作から原健策に改名、戦後の東映映画の黄金期にも大きく貢献した通産だと助演、脇役俳優の名優でした。特に片岡千恵蔵の共演数が最低でも片岡千恵蔵と118作以上、戦前から戦後にかけて本当に膨大にあります。1970年代以降も時代劇のテレビドラマを中心に数多く出演し、1982年「大岡越前(第6部)」の出演まで活動。芸歴は57年に到達しました。

 

 

 

映画主演350作の片岡千恵蔵と映画118作以上の46年&テレビ含めると47年の長期の深き絆

 

 

 ちなみに1982年「大岡越前(第6部)」は映画でもっとも共演した超大物俳優の片岡千恵蔵の最後の代表的な役柄の大岡越前の父・大岡忠高の最後の出演シリーズです。ドラマファンには有名ですが「大岡越前(第7部)」の1話の冒頭で大岡忠高が亡くなったことを視聴者に伝えるシーンから始まります。つまりここで「大岡越前(第6部)」が最後だとわかります。

 

千恵蔵と原健策は1935年『初祝鼠小僧』(千恵蔵の膨大な代表作の一つの鼠小僧、義賊の時代劇映画)から1981年『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』までの46年、さらに同じ作品のみだとテレビドラマ「大岡越前(第6部)」まで当時としては真に長期間の47年、最後まで千恵蔵と原健策は深い縁がありました。互いに信用や信頼関係がないとなかなか実現できない部分です。さらに凄い部分があります。大岡越前は主演は加藤剛ですが、通産だと片岡千恵蔵の代表作の助演出演の代表作でもあるので1935年『初祝鼠小僧』から足掛け1982年「大岡越前(第6部)」まで足掛けでも47年の片岡千恵蔵も代表作で二人が共演していたことにもなります。ただ共演ならこれからの時代、50でも60でもありそうですが、しかも代表作という現実、まさに互いにとってレジェンドです。

 

 

 

他の俳優の部分も触れますが、現存版を含まない数で全部確認していますが、最低でも片岡千恵蔵と118作以上、市川右太衛門と68作以上の共演作がありました。片岡千恵蔵嵐寛寿郎阪東妻三郎市川右太衛門月形龍之介の歴代5大俳優と助演や脇役で30作以上で共演している数少ない名優です。

 

 

 

原健作(原健策)の主演代表作

 

主演俳優としては原健作の名義時代の日活時代、監督の組田影造(久見田喬二)とコンビを組んだ1940『まぼろし城』第一部~第三部、1941『天兵童子』第一話~第四話の計7作が代表作(7作全てが音楽・西悟郎)です。”児童向けの時代劇映画”として作られ、ヒットを記録し、戦後の東映映画などでリメイクされています。

 

 

 

若き日の次郎長 東海の顔役 [DVD]

 若き日の次郎長 東海の顔役 [DVD]

 

*上記を良く見ると脚本と監督が逆になっています。

 

主演映画110作強の大スターの中村錦之助と大巨匠・中村錦之助のコンビで4作作られた若さをアピールした次郎長映画&侠客もの時代劇映画&明朗時代劇映画の「若き日の次郎長シリーズ」1作目の『若き日の次郎長 東海の顔役』、続編では明朗歌謡時代劇映画の要素も存在しています。

 

『若き日の次郎長 東海の顔役』はちょっとした役柄で原健策が出演、見つける面白さもあります。錦之助のライバルの時期があった盟友の東千代之介や超大物俳優の月形龍之介大河内傳次郎の出番や掛け合いも注目です。2018年に生誕110年のマキノ雅弘の凄さは世界的にも例がないですが、何も考えずに演技だけでも楽しめるところが凄いところです。

 

作品は4作を通じてマキノ雅弘だからできるそれまでにない拳銃を連発する”新しい次郎長像”に挑戦しています。個人的には3作目が娯楽時代劇映画として、ある種の頂点クラスだと考えており、4作でもっとも評価しています。

 

 

 

 

 

職人の域に到達の主演立て技術と北大路欣也の証言 

 

 

 

 

主演などの共演した相手を引き立てる職人にまで到達した演技に非常に定評があった俳優です。北大路欣也の証言によると自分がデビューした1950年代後半の時点では経験のない若手に演技を教える仕事もしていたエピソードも有名です。今で言うと脇役俳優兼演技指導のようなものになりそうです。

 

 

当時の映画スター俳優は自分のスターとしての地位があることや、自分だけでも忙しくわざわざ若手に演技が教えられないため、こうした経験と履歴が突き抜けた名優の原健策が演技を教える仕事も兼ねていたようです。

 

さらに原健策は時代劇やグラビア写真の印象もある松原千明の父親、現在は元俳優で現在はほぼタレントの石田純一の元義理の父でした。松原千明石田純一は元夫婦だったからです。最初は時代劇映画の超大物俳優の原健策があのグラビア写真、グラビアアイドル時代があった松原千明の父親だとは信じられませんでした、今でも落差がありすぎて正直戸惑うところです。

 

映画出演の主な代表作はヒット作や名作を含み、余裕で100を軽く越しています。彼は映画史上の歴代上位の名優の一人です。

 

 

リ・ボーン―ハワイの光のなかで

娘も芸能活動していますが、熟女となった原健策の娘の松原千明の映像作品。・・・ではなく、残念ながらこれは書籍です。

リ・ボーン―ハワイの光のなかで

 

 

 

 

 

 

 

西悟郎が映画音楽を担当した10名を越す多くの名監督と戦後の苦難

 

 ここから世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家 の流れとなります。

 

7大巨匠の大映画音楽家こと西悟郎は、監督は戦前に伊藤大輔稲垣浩マキノ正博(のちの名義はマキノ雅弘)の時代劇3大巨匠であわせて15作以上の代表作、事実上の名コンビ、日活のオールスター時代劇映画を戦前で最多数手掛け、娯楽時代劇映画の巨匠の池田富保などとも縁がありました。4名の巨匠です。また、短期間でしたが光を放った山中貞雄や組田影造(久見田喬二)、戦後は1940年代後半までヒット作を連打し、特にこの時期は大映の主力監督として認められてきたのちの東映の大巨匠の松田定次です。

 

ですが1950年代以降は急転の苦戦が続き、大映の巨匠となっていた衣笠貞之助、映像化の名手の森一生で代表作をそれぞれいくつか残す程度に留まり苦戦しました。

 

 

 

 

晩年は苦戦を虐げられましたが現実は7大巨匠の大映画音楽家

 

 

 

片岡千恵蔵大河内伝次郎阪東妻三郎の順に代表作が多く、嵐寛寿郎と西悟郎に関しては下記リンクでも触れていますが、数の少ないその理由の一つは1940年代に戦争の影響で子供への刺激的な「鞍馬天狗」が封印され、一時的な低迷期に入ったこともありますが、嵐寛寿郎の映画の西悟郎の戦前代表作は少なめでした。

 

 

新しい作品はシリーズが多く少なめですが、1950年代に再び代表作は残していきます。1950年代は上記のも記していますが、戦後に再び、嵐寛寿郎のシリーズものと関りますが、そのほかに三船敏郎森一生東宝の1952『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』、大映と新演技座の長谷川一夫桃太郎侍の描いた1952『修羅城秘聞 双竜の巻』、『続修羅城秘聞 飛竜の巻』、「銭形平次捕物控シリーズ」は1952『銭形平次捕物控 地獄の門』、1953『銭形平次捕物控 金色の狼』、世界歴代1位映画音楽家に捧ぐ 偉大な戦前の映画音楽家の43作とあわせると48作となります。膨大な量です。西悟郎はここまでの大音楽家だったのです。

 

 

 

 銭形平次捕物控?地獄の門? [VHS]

銭形平次捕物控~地獄の門~ [VHS]

西悟郎が音楽で参加した晩年の代表的作品が2作ある「銭形平次捕物控シリーズ」は、部分的にはDVD化されていますが、『銭形平次捕物控 地獄の門』(西悟郎が音楽)はVHSだけのようです。

 

 

 

最後に投げかけの6大巨匠か7大巨匠 そこは大きな問題

 

 

西悟郎が音楽を担当した映画のここでいう6大巨匠は、伊藤大輔稲垣浩マキノ雅弘池田富保松田定次衣笠貞之助です。実は”時代劇4大巨匠”とも言われることがある、伊藤大輔稲垣浩マキノ雅弘衣笠貞之助で代表作といえる作品がある映画楽家はほぼ彼だけです。森一生は監督数的には120作を越しているため、本数では完全に巨匠レベルですが、作品などのムラはあるため、判断が分かれるところであり困難ですが、個人的には映像化監督(プログラムピクチャー)としては映像化映画監督の巨匠だと考えているので通産で7名といえます。