映画を極めろ一直線女子の裏道ばやり

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鍔鳴浪人の西梧郎とスペンサー・トレイシーの名作と「天狗廻状」が顔出したとき

 

 

 

映画を極めろ一直線女子 悲劇?幸運?改名を世界最多級11度繰り返した映画奇蹟を公開いたしました。

 

 

 

今回の記事は本当は映画を極めろ一直線女子の究極裏道で公開予定でしたが、前回の記事の続きを公開するため、急遽こちらで公開することになりました。

 

 

 

公開しました部分のリンク先は西梧郎 改名 山中貞雄 稲垣浩 中村翫右衛門 河原崎長十郎 山岸しず江 加東大介 市川莚司 横山運平 沢村貞子 小松みどり 宗春太郎 國士無双 伊勢伊勢守 高勢実乗 海鳴り街道 大河内傳次郎 稲葉小僧新助 義賊もの 股旅千一夜 股旅もの 前進座 フランス映画5大巨匠 ジュリアン・デュヴィヴィエ ジャン・ギャバン 地の果てを行く 西悟郎 片岡千恵蔵らが登場しています。

 

 

 

 

大映画音楽家の西梧郎の改名数とその主な流れ

 

 

改名数、改名 公開年数『映画名』(主演俳優名)~『映画名』(主演俳優名) 継続作数

0、西梧郎 1936『忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇』(大河内傳次郎片岡千恵蔵)~
  1936『大菩薩峠 鈴鹿山の巻 壬生島原の巻』(大河内傳次郎)まで13作ほど 
  ↓
1、西悟郎 1936『河内山宗俊』(主演は河原崎長十郎)の1作のみ
  ↓
2、西悟朗 1936『勘太郎月の唄』(尾上菊太郎)の1作のみ
  ↓
3、西梧郎 1936『海鳴り街道』(大河内傳次郎) 、
  1936『股旅千一夜』(中村翫右衛門河原崎長十郎)の2作
 ↓
4、西悟郎 1936『東の伊達男』(大城竜太郎)の1作のみ
 ↓
5、西梧郎 1936『栗山大膳(1936)』(大河内傳次郎)~
  1937『森の石松(1937)』(黒川弥太郎)の3作
 ↓
6、西悟郎 1937『浮世三味線 第一絃』(黒川弥太郎、花井蘭子)と
  1937『唐人お吉 黒船情話』(花井蘭子)の2作
 ↓
7、西梧郎 1937『曠原の魂』(片岡千恵蔵)の1作
 ↓
8、西悟郎 1937『女賊変化』(原健作、中野かほる)の1作
 ↓
9、西梧郎 1937『国定忠治(1937)』(阪東妻三郎)~
  1937『飛竜の剣』(阪東妻三郎)まで3作
  ↓
10、西悟郎 1937『自来也』(片岡千恵蔵)~

  1938『.無法者銀平』(片岡千恵蔵) の2、または3作(断片の現存版も含むため)
  ↓
11、西梧郎 1938『江戸の花和尚』(片岡千恵蔵)~
   1958年の遺作『紅蝙蝠(1958)』(松本錦四郎)まで80作ほど連続

 

 

 *この記事の最上記のリンク先にも載せていますが、下の記事の補足のためにこちらの記事にも掲載

 

 


初の改名の音楽担当映画作品

 

 

 

初の改名の音楽担当映画作品は1、西悟郎1936『河内山宗俊』の1作のみの『河内山宗俊』からです。それには理由がありました。それもそのはず『河内山宗俊』は日活と太奏発声映画の共同制作映画だからです。それまで使用していた西梧郎から変える必要があったのでしょう。

 

 

*初の改名の音楽担当映画作品の前の流れは映画を極めろ一直線女子 悲劇?幸運?改名を世界最多級11度繰り返した映画奇蹟ををご覧ください。

 

 

 

唯一の朗が末尾の西悟朗の名義

 

 


上記の2、西悟朗1936『勘太郎月の唄』の1作のみにおいて、唯一の西悟朗の名義を使用しています。この名義を使用した理由は謎ですが、ただ一ついえるのは日活と映画太奏発声映画の共同制作映画の1936『河内山宗俊』で初めて改名し、西悟郎の名義を使用、その後は日活のみの製作作品に戻ったため、名義を変える必要を考えたのでしょう。その結果が西悟朗の名義であったとこのように考察してしまいます。西悟朗の名義はただ一度だけの貴重な映画となりました。

 

 

ちなみに『勘太郎月の唄』という映画は、日活1934年に移籍してきた時代劇映画のスターの尾上菊太郎の主演作です。長谷川伸の原作で脚本は戦前中心に活躍した姪時代劇脚本家の三村伸太郎、監督は1930年代~40年代の日活のヒットメーカーとして知られる荒井良平です。『勘太郎月の唄』の時代劇の内部ジャンルは股旅ものです。

 

荒井良平は大河内傳次郎の「水戸黄門シリーズ」の現存含むと5作、阪東妻三郎「牢獄の花嫁」の現存含む3作、「鍔鳴浪人」の2作、『柳生月影抄』の現存含む2作などをヒットさせました。さらに1948年は「サザエさん」の初映像化の映画も手掛けました。

 

 

 

 


鍔鳴浪人の西梧郎とスペンサー・トレイシーの名作と「天狗廻状」が顔出したとき

 

 

 

上記でも少し取り上げた鍔鳴浪人(読み・つばなりろうにん)についてもう少し取り上げます。中劇週報「鍔鳴浪人」の予告 阪東妻三郎とありますが、阪東妻三郎の名前が見られませんが、リンク先の参考写真の裏面にきちんと書かれています。

 

 

 

中劇週報「鍔鳴浪人」予告 阪東妻三郎

 中劇週報「鍔鳴浪人」予告 阪東妻三郎

 

 

 

上記写真の右斜め最上部に縦字で嵐寛寿郎主演と書かれ、「天狗廻状」のタイトルが見られます。これは何度か使われた「鞍馬天狗シリーズ」からの別タイトルです。

 

さらに左にはアメリカ映画黄金期の大スター、アカデミー賞9度のノミネートを誇る、スペンサー・トレイシーの名前がみられます。彼は『ニュールンベルグ裁判』 (1961)や『招かれざる客』 (1967)など12作を越す明確な代表作に恵まれ、上記にみられるアメリカ公開1938『少年の町』は彼が2年連続アカデミー主演男優賞を受賞した名作です。「天狗廻状」のタイトルは1939『天狗廻状 魔刃の巻』と1940『続天狗廻状 刃影の巻』のことを意味しています。

 

上記の予告の裏面に書かれている「鍔鳴浪人」に戻りますが、主演は阪東妻三郎、監督は荒井良平です。この映画は商品化されていませんが、『鍔鳴浪人 前篇』と『鍔鳴浪人 後篇』のオリジナル版はNFC東京国立近代美術館フィルムセンター)に残されています。この作品も今回取り上げている大音楽家の西梧郎が音楽を担当している代表作に含まれるでしょう。数多くあるヒット映画の2本です。

 

 

 

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アメリカ映画の歴代上位の映画主演スターであり、実力派俳優でもあったスペンサー・トレイシーの戦前の代表作の一つ、監督のノーマン・タウログ(Norman Taurog)は第4回アカデミー賞の監督賞を獲得、1920~1969年までの50年間の長期で活動し、短編映画を100作ほどの多数含み長編映画は79作、通算180作以上の映画を手掛けた名匠です。テレビなどがきちんと取り上げずに今は知名度が低く残念です。