3500万人ヒット映画の予告編に「植木千恵」の名前がクレジットされるスーパー名誉
今回は「3500万人ヒット映画の予告編に「植木千恵」の名前がクレジットされるスーパー名誉」と題して公開いたします。今回は彼女が歴代ナンバーワン子役だったを示す証拠を披露します。
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今回の表記事
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上記リンクはマキノ雅弘 ジョルジュ・メリエス Georges Melies 映画人七変化 国民的時代劇映画題材 七つの顔の男シリーズ 映画プロデューサー 津川雅彦 次郎長三国志(2008) 牧野省三 小津安二郎などが登場しています。
植木千恵の時代劇映画と現代劇映画の偏ったバランス その訳
植木千恵は父・片岡千恵蔵との主な共演29作中、現代劇映画は4作に出演しました。通産だと大まかに時代劇映画は25作、現代劇映画は4作でした。この数字から考えてもほとんどが時代劇映画の活動だったということがわかりますし、観客動員的にも圧倒的に時代劇映画でしたし、1950年代の東映創立時から最大の黄金期の1960年代前半までのトップ俳優だった片岡千恵蔵とその盟友の市川右太衛門が時代劇映画中心の俳優だったことが大きく影響しています。
植木千恵の顔立ちは父の片岡千恵蔵と同様ですが、時代劇特有の化粧(時代劇特有のメイク)で顔だちが時代劇映えする顔由も時代劇映画に多く出演した理由といえるでしょうし、たとえが悪いかもしれませんが植木千恵はまさに和製の人形のような顔立ちです。
現代は少なめですが、戦前から1960年代までの黄金期の時代劇映画は基本、作品や演じる役柄に応じて男性と女性の俳優は化粧をしていることが基本でした。これにより植木千恵はさまざまな顔立ちを映画で実現させていますし、このことが少女役だけでなく、少年役を演じることの役幅の広さを実現させました。
植木千恵の主な少年役 有名作の上位3選
植木千恵の主な少年役 有名作の上位3選
1953『女間者秘聞 赤穂浪士』(忠臣蔵、赤穂浪士題材) 植木千恵は大石内蔵助の息子の大石大三郎役
1957『はやぶさ奉行』(遠山の金さん題材) 植木千恵は千吉役
1958『直八子供旅(1958)』(長谷川伸の股旅物題材) 植木千恵は八百吉
植木千恵の大きな実積として全体は女児役、少女子役でありながら何度かの男児役、少年役を演じたことも大きな意味があったことです。日本人の誰も知り世界的にも有名な忠臣蔵、赤穂浪士題材時代劇の国民的な題材の遠山の金さん、時代小説の歴代の大作家の長谷川伸の股旅物題材の3つで少年役は大きな実積だと考えられます。
2作で3500万人ヒット作の予告編に「植木千恵」
植木千恵の出演した父の片岡千恵蔵が主演した次郎長映画予告編
1957『任侠清水港』 植木千恵の顔とクレジットが登場
年間観客動員ベストテン第1位 千恵蔵のメガヒットの清水の次郎長1作目の名作、監督は大ヒットメーカーの巨匠の松田定次
1958『任侠東海道』 植木千恵の顔とクレジットが登場
年間観客動員ベストテン5位入り メガヒットした千恵蔵の清水の次郎長2作目の名作、監督は大ヒットメーカー松田定次
*『任侠清水港』
昭和31年映画パンフレット 任侠清水湊 片岡千恵蔵 中村錦之助 市川右太衛門 大川橋蔵
*片岡千恵蔵の温厚さと厳しさの二つの異なる表情を全面に押し出した現在でも斬新なパンフレットです。パンフレットを一人の俳優が独占する凄さ、これもそれだけ彼が国民的俳優だったことを物語る理由の一端です。よく観ていただくとわかりますが、「港」であるべきが「湊」の字になっており、間違えています。
植木千恵が出演したこの1957『任侠清水港』、1958『任侠東海道』の予告編を東映チャンネルで録画して何度も視聴していますが、実は名子役の植木千恵が登場しています。この1957『任侠清水港』、1958『任侠東海道』は年間観客動員上位にランクインした大ヒット作です。
1957『任侠清水港』は2000万人近く、1958『任侠東海道』は1500万人ほどの超大ヒット、シリーズだと観客動員ベスト10ランクインのみでは時代劇映画最多の観客動員、、単発だとカウントしても歴代の時代劇映画で上位の大ヒット、この2作だけで3500万人ほどの真の国民的な爆発的な観客人数を動員を記録しました。この頃の日本の人口は9000万人強であり、国民の約3人に1人以上が映画を観たことになります。
植木千恵はこの2作に出演しているわけですが、それだけではなくこの2作の予告編に2作とも登場しています。2019年2月に1957『任侠清水港』、1958『任侠東海道』が再び再放送されるようで、2019年1月の東映チャンネルの予告編でも流れていることを2019年の1月にも確認しています。
「植木千恵」の名前がクレジットされるスーパー名誉
植木千恵は1957『任侠清水港』、1958『任侠東海道』に出演した時期の年齢は10歳未満(小学3、4から未満)だったと考えられますが、名立たる大スターや大名優の40名ほどの有名俳優の中に唯一子役で出演しています。
合わせて約3500万人に出演する現実は当時
(このときの日本映画最大の黄金期、大手6社が良い意味で競いながら1位の東映が1956年から連続首位時です。現代の日本映画は広告会社やテレビ局との大きな関わりから競り合いがほぼ存在しなく、東宝に客がもっとも入ることが決め付けられた事実上の茶番劇状態の低迷期、競った1位ではないので全く評価たくない最悪な事態)に
植木千恵が高いの評価をされていたことがわかりますし、さらに当時の日本映画界で植木千恵の存在は事実上のナンバーワン子役だった言うこともできる事実です。2作で3500万人に出演する子役、しかもある程度の上位で、これからも日本の1国では難しいでしょう。
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