映画を極めろ一直線女子の裏道ばやり

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戦前のスタープロダクションと戦後重々独立映画 千恵蔵と薩夫が右往左往するとき

 

 

今回は映画を極めろ一直線女子 主演350作俳優と無冠の帝王と山本薩夫と是枝裕和と北野武の奇抜フィフスセッションを公開いたしました。

 

 

今回は山本薩夫 是枝裕和 北野武 松田定次 塚本晋也 三國連太郎 独立映画 今村昌平 マキノ雅弘 渡辺邦男 娯楽映画 功労賞 日本映画最大の無冠帝王 日本映画の御大俳優 七つの顔 探偵映画 多羅尾伴内シリーズ 戦後日本映画最初のヒットシリーズ 宇津井健、三ツ矢歌子 高橋とよ 高橋豊子 松田定次 人間の壁 日教組 独立映画 スタープロダクション 石川達三 宇野重吉 香川京子 千恵プロ 毎日映画コンクール監督賞 教師映画 泥棒要素 万引き要素 万引き家族 にっぽん泥棒物語 片岡千恵蔵が主に登場しています。

 

 

その流れでこの記事の「戦前のスタープロダクションと戦後重々独立映画 千恵蔵と薩夫が右往左往するとき」です。

 

 

 

 

のちの大御大俳優片岡千恵蔵の千恵プロと巨匠山本薩夫の少なからずの恩恵

 

 

 

山本薩夫が独立系で評価された1950年代、からさかのぼること1920年代から1930年代後半に戦後の独立映画の形成にもつながる大きな貢献を成した人物たちがいました。

 


数多くいたわけですが特に大きいといえるのが片岡千恵蔵です。彼は監督では在りませんが、山本薩夫と同じ映画製作者としてもつながりがあり、特に戦前は映画製作者としても大きく活躍し、映画俳優としては戦前と戦後の長期間で活躍し続けた日本最大の映画スターでした。映画主演数は戦前と戦後の両方で世界唯一の150作を越し、通産主演数は現存、断片、総集編などを含むと350作近くが確認でき、戦後まで活躍した俳優の世界多数を誇り、膨大な貢献度を誇っています。

 

 

千恵プロは戦前の1929年から1937年まで日本映画界に大旋風を巻き起こしました。俳優の片岡千恵蔵が主宰の映画会社であり、スタープロダクション(大手映画会社提携の事実上の独立系との考え有)は、観客動員や観客に評価される娯楽路線とキネマ旬報などあわせて、現存、断片版含むと製作と主演110作ほど(正式は101作)の映画を残し、20作近いベストテン受賞数の受賞路線の両方で大成功し、もっとも多彩な題材で成功、代表作はトップの30作以上を残しました。

 


このスタープロダクション映画(千恵プロに関しても多くは配給は大手映画会社もあるが製作は自身たちが全体で事実上の独立映画とも捉えることができる)は独立映画とも通じ、戦後の独立映画に大きく貢献した山本薩夫に関しても通じる部分があります。

 

 

 

 

千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント (映画読本)

千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント (映画読本)

 

* 千恵プロの有名な書籍

 

 

 

 

 

両雄 先駆ゆえの強い風当たりの中で

 

 


世の中は基本的に大手映画会社主体を評価することで成り立つことも影響し、それに対する存在は風当たりが強く、公開当時は正当に評価されてない場合が多くありました。現在の独立系は先人の血と汗の積み重ねが作り上げた地盤のおかげもありますが、比較的評価されやすい環境ですが、当時は何倍もの風当たりでした。

 

千恵プロ映画もその強い風当たりの中で苦労しながら映画製作を重ねていきました。その中で片岡千恵蔵の千恵プロは稲垣浩伊丹万作の名二大コンビネーションが連発し、突き抜けて高く評価されました。山本薩夫も強い風当たりの中で苦労しながら映画製作を重ね、近い部分があります。それゆえにきちんと評価されてこない作品も存在し、のちに評価が上昇した作品がいくつか存在しています。

 

 

 

 

 

映画スターたちの悪戦苦闘の躍動

 

 


片岡千恵蔵の大きなライバルだった阪東妻三郎阪妻プロ、スタープロダクション映画の事実上の先駆者、映画製作130作ほど主演は100強、先駆的代表作や話題作をいくつか残す、ヒット本数は千恵プロに近く多いが賞とほぼ縁なし)、

嵐寛寿郎(寛プロ、映画のシリーズ路線を今につながる形で確立のヒット作を量産、90作ほど)や市川右太衛門(右太プロ、主演本数は歴代最多120作ほど、膨大な本数からするときちんと利益を得ているが今の残る大きな代表作はなし)でした。

阪東妻三郎の初期の阪妻プロは日本映画の父でもある大人物の牧野省三に気に入られて、映画会社に必要な大きな資金援助をされていました。

 

 

さらに月形龍之介(月形プロ、本数は8作と少ないが明確な代表作2本とある意味の成功)、入江たか子(入江プロ、10作強、女性俳優初のスタープロダクションとヒット作数本の成功)、勝見庸太郎(勝見プロ、千恵蔵と共演歴がある先輩俳優、製作25作で代表作は特になし、本数からすると最低限の成功は収めた)、

市川百々之助(百々プロ、確認できる本数は24作と多く、人気は博したがほぼ代表作なし)、

 

阪東妻三郎嵐寛寿郎は全般の娯楽映画としては大成功を含んだものの、受賞数は極少なく、受賞数においては片岡千恵蔵の千恵プロ(キネマ旬報など含み、スタープロダクションの最多の17作のベストテン受賞数)と大差をつけられました。

 

 

 

内丸座週報「灼熱の恋」勝見庸太郎

映画館ニュース 内丸座週報「坂崎出羽守」勝見庸太郎 /「地獄の姫百合」ロン・チャニイ

 

 

上記写真のリンク分にもありますが、勝見プロで記事に登場させた勝見庸太郎は初期の松竹時代映画1925年『坂崎出羽守(1925)』に主演しています。上記リンク先の裏面に確認できます。この上記写真の左の人物そのものは、舞台において殺陣の概念を形成したといわれる大舞台俳優の沢田正二郎です。ここの使われている彼の写真は映画ではなく、彼がトップだった新国劇舞台の広告です。1925年のものと考えられ、2019年からから約94年前です。

 

 

勝見庸太郎が演じた坂崎出羽守(坂崎直盛)は徳川家康の娘の千姫大坂城から救出したことで知られ、千姫事件を起こした人物、この言い伝えを描いているものと考えられます。

 

 

 

*さらにココから次回に続く続く

 

 

 

 

稲垣浩が残した貴重な証言たち 邦画歴代歴代大盟友の千恵蔵と嵐寛の食い違い

 

 邦画歴代歴代大盟友の千恵蔵(350作ほどの主演)と嵐寛寿郎(通称・嵐寛=アラカン、260作ほどに主演)、片岡千恵蔵は俳優のみに専念し、ほぼ証言を残しませんでした。他の俳優は比較的証言を残しました。関西歌舞伎の部屋子時代の時代劇映画デビュー前からの盟友ある嵐寛寿郎は晩年に数多くの証言を残し、証言者の一面を持ちましたが、彼は異なりました。

 

それが彼が望んだ活動に仕方であり、どんなに活躍しても一人の俳優で演技者人生を終えたいという思いだったのでしょう。俳優は演技者はやはり都合が良く済んでしまうことが多いタレントではないのですから、テレビには俳優以外で出演しない、これを貫きました。まさにもっともまっとうなやり方です。

 

時代劇映画&日本映画の巨匠の稲垣浩片岡千恵蔵と中心に仕事をしていた頃の千恵プロ時代が自分の映画人生の中で自分の作りたい映画が作れたことが多く、もっとも充実していたと本人の言葉がのこあされています。キネマ旬報などの受賞(ベストテンランクイン)が決まったときは千恵プロの全体で喜びを分かり合ったといいます。まさに伝説的な美談です。


戦前の千恵プロはその中でもっとも多くの作品が高く評価され、映画スターの製作会社(事実上の独立プロともいえる)としては最多のベスト10受賞数を誇りました。山本薩夫も戦後体制(監督主体概念)ではありますが、少なからずの独立路線形成の恩恵を受けていたといえるでしょう。

 

 

日本映画の若き日々 (1983年) (中公文庫)

日本映画の若き日々 (1983年) (中公文庫)

 

稲垣浩の少ない著作の一冊「日本映画の若き日々」、全体上層部は片岡千恵蔵と下の男性は大河内傳次郎の写真、この女性は誰でしょう。わかると映画通です。それともう一人が右下に小さく女性の写真が写りこんでいます。これはなかなかわかりません。

 

 

 

 

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